2006年09月20日

フジに殴り込むライブドア

「ニッポン放送は株式を証券市場に公開している。誰が株を売買しても自由」
(朝日新聞05年2月23日社説「いきり立つのではなく」)

それを今になって、ライブドアを批判するのはおかしい。

日本では株式の相互持合いで、物言わぬ株主ばかり。

それ幸いと、株主をほとんど意識せず、日本の経営者たちはこれまでぬくぬくと会社を我が物のようにしてきた。

そこに物言う株主が現れ、異物が入ったように文句を言う経営者や政治家まで現れた。

会社は経営者のものではないことを分かっているようで、良く分かっていないのではないか。

企業統治、コーポレートガバナンスの点からすれば、会社は株主のもの。

あとからルールを作って、前にやったことをあれこれ文句を言うなら、それこそ、そのこと自体がルール違反。

放送局の外資規制は、ライブドアのやり方が気に入らないから、取って付けたように動き出した。

規制の理由が良く分からない私の目からすれば、そうとしか映らない。

アメリカ、フランス、オーストラリアでは、放送局の外資支配は直接、間接支配ともに、規制の対象になっているが、一方、イギリスでは外資規制は全廃されている。

規制する国もあれば、しない国もあり、日本はしない国だった。

それが一転、規制することになったが、外資規制の理由も、はっきりしないままルールだけを導入したとなれば、これまでの業界秩序をただ維持したいだけのためのルール作りか。

しかし、いつの時代も変革者は、守旧派から異端児され、迫害され、ねたみを受けてきた。

フランス革命だって、日本の幕末時代だって、伝統的秩序を維持し、復興しようとする保守勢力と、これから迎えんとする新興社会を歓迎する改革勢力の間での熾烈な戦いだった。

だが時代のうねりは、世襲特権、旧社会の信仰と価値が、新たな文明価値にとって代わろうとして、その壁をぶっ壊していくのが、これまでの歴史の教えるところだった。

ライブドアがその変革者ならば、新たな価値創造を説明しなければ、なんだぁ〜という、ただのお遊びにしかすぎないことになる。
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2006年09月15日

夫婦別姓は自分のエゴ?

夫婦別姓の導入の是非を巡り、自民党が反対、他党は賛成しているという。

生死に関わる問題でもなく、どちらでもいいと思っていたが・・これが死活問題の人が。

自民党でも野田聖子議員は賛成、熱心な推進派。

「名字を変えて変えると、これまでの仕事の蓄積を失ってしまう、家名を残すことができなくなる、そうした事情を抱え悩んでいる人たちがいる」(朝日新聞8月18日)

?・・ご自分のこと?

野田さんは参院議員の鶴保庸介氏と結婚したはずが、未だ「野田」を名乗っているし、鶴保氏も「野田」を名乗っていない。

選挙に「鶴保」では、不利なのであろう。

「野田」は祖父から続く姓。
選挙地盤とともに、「野田」を引き継いだ。

これでは封建的な家制度を選挙に利用したいだけでは?

「困っている人たちを助けることは政治家の役目だ」と断言。

困っている人たち?

野田さんが推進したいのは、困っている人たちより、自分のためでは、と勘ぐりたくなる。

「夫婦別姓は、定型ではない自分なりの生き方を考えるきっかけとなる」

「自己決定に基づく新しい社会を築く試金石でもある」

何を奇麗事を、と思う。

夫婦別姓でなくとも、自分なりの生き方を考えることは可能。

自己決定に基づく新しい社会も、またそう。

夫婦別姓でなくて困るのは、実際名の知られている政治家ぐらいで、同じ名の知られている芸能人は芸名、何の不都合もない。

では、一体誰のために導入するのか。

これでは自分のエゴのために夫婦別姓を唱えているのでは、と思わざるを得ない。

2004年08月21日記
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2006年09月10日

火噴いた赤ゴジラ

背番号55の赤ゴジラが今季、火を噴いた。

赤ゴジラこと広島カープの嶋重宣選手(東北高)が10年目で突然開花、セ・リーグ首位打者となった。

おめでとう、本当に良かった。

長い2軍生活、プロ野球選手といえども、生活は華やかでなかったはず。

2軍は下積み生活、何よりもプロ野球選手としての華やかさがない。

毎年の契約更改は、置かれた立場が立場だけに、心に期するものがあったろう。

奥さんの美紀さんは、広島弁で「首になったら私が食べさせてやるけんに」と、嶋を精神的に支えた。

嶋は心を落ち着かせることが出来たに違いない。

先のことは考えずに、野球に集中できる美紀さんの言葉。

随分と励まされたことであろう。

嶋は打撃が振るわない時は、奥さんがスイングのビデオ撮影を買って出るという。

なんと麗しい夫婦愛なのだろう。

とかくプロ野球選手は、女性にもてる。

選手個人の人間性というより、プロ野球選手としての富と名声に引かれて。

しかし、美紀さんはそうではなかった。

10年間諦めずに続けたことが、首位打者につながった。

その気持ちをよく10年間辛抱した。

解雇されたら、アメリカでテストを受ける覚悟でいたという。

限界線を引かず、常に夢と目標を持ち続けたことが、良かった。

どこまでも自分の可能性を試すチャレンジ精神。

そのモチベーションこそファンが嶋選手を魅了し、声援をするのだ。

苦楽をともにして、勝ち取った首位打者。

夫婦で、その喜びをかみ締めていると思う。

今度は美紀さんにこう言える。

「私が食べさせてやるけんに」

 x  x


糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず

貧しい頃から苦労を共にしてきた妻は、立身出世ののちも離縁するわけにはいかない。

2004年10月19日記
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2006年09月09日

大きかった自由の代償

父親の顔は知らない。

母親の顔もかすかな記憶があるだけ。

礼子は15歳で施設を出て、紡績工場に就職した。

毎日が単調な生活に飽きたり、女友達から東京に行こうと誘われ、その話に乗った。

工場には無断で、もうJRの列車に乗っていた。

中央線の多治見駅で2人は補導された。

女友達は警察に「礼子に誘われ、東京に行くことにした」と話した。

礼子はショックだった。

事実は逆。

それで礼子は職を失い、寮から追い出される。

転落の始まりだった。

17歳の礼子に行き場はない。

キャバクラの面接を受けた。

履歴書を見せて断られた。

あと半年したら、また来るようにと。

とぼとぼと名古屋・栄の繁華街を歩いていると、若い男に優しく声をかけられた。

男が天使のように思えた。

親切な男だった。

捨てる神あれば、拾う神あり。

礼子は男に感謝した。

しかしムチとローソクを持つことに。

この男に・・された。

絶望と恐怖の毎日が続く。

この生活から逃げたい。が、勇気が出ない。

半年辛抱して、あのキャバクラにもう一度、面接に行こう。

18歳の誕生日、かすかな希望を求めて礼子は逃げ出した。

しかし、面接で断り、容姿の基準に達しなかった。

18歳になったばかりというこれからの人生に、絶望と諦めが交錯した。

行き場のない礼子は、戻るしかなかった。

窮屈な鳥かごに入る小鳥が、自由を求めて大空を羽ばたきたいと、一度外に出てみた。

しかし餌は与えられない。

自分で探し求めなければならない。

しかも空にはタカやワシ、地上にはヘビやイタチがいる。

無菌室から飛び出した少女は、素直で疑いを知らない純粋な心の持ち主だった。

しかし、その身も心もボロボロ。

自由の代償は余りにも大きかった。
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2006年09月07日

どこかおかしい牛丼狂騒曲

愛知県の会社員、47歳は「牛丼 に勝るものなし。政府は早く米国産牛の輸入を解禁すべきだ」と、力を込めた、と記事はある。

自宅近くの店舗から地下鉄を転戦と新聞 は伝える。

名古屋市の高校1年生、○○絵莉佳さん(16)は、提供開始45分前に来店。

「親にも食べさせて上げたい」と牛丼 の弁当2つを下げて帰った、と記事。

親孝行なお嬢さんを持ったご両親は、さぞ幸せのことだと思う。

大阪・堺市の吉野家 第二阪和浜寺店にワゴン 車が突っ込み、店と客あわせて7人が怪我 。

損壊した店が新聞 社の取材ヘリコプターより写され、その写真 が大きく社会面を飾る。

損壊した店だろうが、それでも客は並び、壊れた店の中で客は牛丼 を食べる。

11時のオープン時に待ちきれない客が列をなし、11時丁度に店長 あいさつ。

今どきの小、中学校 でも見られない、素直に聞くお客が、あいさつ終了と同時に客が拍手して、「頂きます」。

全国の吉野家 各店で、同じような光景があったのだろう。

2月11日は米国産牛肉の安全性についての新聞 報道はなかった。

生命の大切は何よりも大切なはず。

にもかかわらず、この日はそんなことは問題にもならず、全く新聞 は触れない。

牛丼 が食べられないのは、もうこの世の終わりのような牛丼 狂騒曲を演出するマスコミはどこかおかしい。

もうそろそろ米国産の牛肉を輸入したらどうか、という解毒剤の働きをみせる新聞 の過熱した報道。

読者も少し用心して、この報道を斜めに読んだほうがいいのかも。

05年2月13日記
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2006年09月05日

テレビCM崩壊が現実に=ペプシとコカ・コーラの媒体戦略


ペプシとコカ・コーラを比較すると、日本ではブランド力、売上など三菱自動車とトヨタ自動車の違いほどあるように思う。

ではアメリカではどうだろう。

昨年12月12日のNYSE(ニューヨーク証券取引所)での終値では、コカ・コーラが1919年に上場して以来、ペブシコとコカ・コーラの時価総額が86年目で初の逆転したという。

株数と株価を掛けた企業価値では、ほぼ同じ。

ペプシコーラなどまったく相手にされていない、存在感のない飲料メーカーだと思われていたら、とんでもない横綱だった。

ペプシは旧来のマーケティングであるテレビCMから撤退して、インターネットなどの新しいアプローチのニューマーケティングを使って、コカ・コーラと市場を二分する横綱メーカーになっていたのだ。

もともとマス・マーケティングは、産業革命から生まれた大量生産・大量消費のためのもの。

大資本による大企業が大量生産し、新聞、テレビを大量消費の媒体として最大限活用して、大量販売してきた。

コッカ・コーラを飲もうよ♪

という、テレビCMで、大量の大衆消費者に浸透を図ってきたこれまでのマス・マーケティング。

ところが、ペプシはテレビCMはとらなかった。媒体戦略が違った。

実際テレビCMがどれほどの効果があるのか、それを検証することはほとんど困難であるにもかかわらず、1本150円のペットボトル飲料に、年間20億円、30億円の広告費がテレビCMに使われている。

1人あたりの到達コストではテレビCMが一番安いといわれてきたが、その信憑性もどうだろう。

コカ・コーラに限らず、サントリーやビール各社も、莫大なテレビCMに宣伝広告費を賭けるのも、そうした確信めいたものがあるからだろうが、それをどうやって検証するのか。

広告費はペットボトル1本、数円から数十円かも知れないが、それは本当にテレビCMの効果によるものなのか。

ペプシはテレビCMを行わなかった。それでもコカ・コーラを抜いた。

インターネットは広告費でもラジオを抜き雑誌を追い上げ、テレビの広告市場をうかがっている。

インタネットでは、テレビ広告が、すなわちブロガーのオンラインコミュニティと彼らが書くブログ、ブログスフィア(BlogSphere)にとって代わる可能性も指摘されている。

インターネットでは、広告は多くが出来高払いで、広告効果がなければ、費用は発生しない。

今テレビ業界は、面白くない番組を朝早くから深夜遅くまで垂れ流す地上波テレビでは、視聴者の飽きがきており、また見たいと思うテレビ番組はスカパーなどに流れ、あとはネットで遊んでいるユーザーたちがパソコン画面を眺めている。

マーケティングのアプローチとして、テレビ媒体は旧体制のものになっているともいえる。
posted by マダムフセイン at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営ビジネス論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月04日

触れなかった日本の五輪休戦拒否

朝日新聞社説04年8月31日「アテネの原点を北京へ」

「原点を見つめ直す良い機会になった・・まず平和の祭典と原点だ」

「イラクでは戦闘が続き、ロシアでは旅客機が爆破された・・五輪開催中の休戦の呼びかけは実らなかった」

五輪休戦の呼びかけは、国連決議で採択された。

圧倒的多数で。

世界の180カ国が、五輪休戦に賛成し、署名、休戦を呼びかけた。

しかしイラクで戦闘は続いた。

それはそうだろう。

アメリカは五輪休戦に賛成していないからだ。

五輪停戦には、アメリカを含め、世界の11カ国が同意していない。

大多数の国が五輪停戦を呼びかけても、アメリカは世界の声を無視した。

そして、この11カ国には、驚くことに日本も含まれる。

日本はアメリカの意向に沿うように、五輪休戦の署名に拒否した。

アメリカに、どこまでも従順なのであろう。

しかし問題は、朝日新聞の社説で、日本が五輪休戦に賛成しなかったことに、触れなかった点である。

世界の大多数の国による「五輪開催中の休戦の呼びかけは実らなかった」と、いわば他人事のように言っているが、肝心の日本は、その呼びかけに賛成していない。

朝日新聞は日本を代表する高級紙。

その朝日ですら、この点を触れないのは、ジャーナリズムの怠慢というほかない。
posted by マダムフセイン at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャーナリズム論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

サッカー場で反日とは

アジア・カップが行われている中国・重慶のサッカー場で、地元市民の反日感情が噴出。

7月31日の準々決勝、日本対ヨルダン戦で勝利を喜ぶ日本人サポーターに罵声やゴミが投げつけられたり、「帰れ、帰れ」などの野次が飛んだという。

根底には過去をめぐる根深い反日感情の渦が。

しかし中国マスコミは「こうした『愛国』には誰も喝采(かっさい)しない」、
「行き過ぎた民族感情の中で報復の快感を味わったかもしれないが、スポーツの尊厳を損ない、本来の意義を失わせる」とたしなめた。

中国人の反日感情が、いつ中国政府への反体制に転化するやしれない。

そうしたこともあろう。

会場周辺は、日本人サポーターの保護のために、多数の武装警官が待機し、物々しい雰囲気に包まれたそうだ。

スポーツ本来の意味は、娯楽、楽しみ、潔(いさぎよ)く、さっぱり。

それを応援するファン、サポーターは、勝って喜び、負けて悔しい選手と同じ思いを共有する。

日本人が日本を応援し、中国人が中国を応援する。

勝って喜び、負けて悔しいのは、日本人も中国人も同じはず。

いつまでも日中の過去の不幸を克服できないことは、日中双方の人達にとって悲しいこと。

そこは選手がサッカーの試合し、ファン、サポーターがそれを観戦する場。

勝者をたたえ、敗者へも惜しみのない拍手を送る。

そんな観客で溢れる会場にできないものか。

4年後は北京でオリンピック!!

2004年08月01日記
posted by マダムフセイン at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

人を殺して悪いのか?

少年による殺人が続く。

小学校6年生の少女による殺人までも。

人を殺すことは悪。

当然のこと。疑問の余地無し。

だろうか?

では、地球の上で、毎日のように人を殺している戦争は、どうして悪ではないのか?

戦争は、殺人、傷害、放火、器物損壊など、あらゆる犯罪を犯す。

その殺人などを軍隊が担う。

軍隊は合法化された殺人集団、殺人組織。殺人を目的とした暴力集団。

それゆえ、戦争する政治的な決定に賛成するなら、殺人を肯定することになるのでは。

佐世保事件の加害少女が、ホームページで、命の大切さについて、いみじくも語った。

それは奇麗事。

どんな理由でも、いかなる戦争であろうと、戦争を決定したり、その戦争を支持する大人が、子供たちに命の大切さを訴えねば、と言ったところで、子供たちはその欺瞞(ぎまん)性に気づいているのかも。

2004年06月17日記
posted by マダムフセイン at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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