2008年08月05日

永遠の眠りに付いたお袋

q4
茫然自失、自己の存在を見失った。

7月25日、早朝、お袋が息を引き取り、永遠の眠りに付いた。

6月1日の日曜日、あんなに元気で、2人でチョコアイスクリームを食べたのに、その夜、突然、食事が取れなくなり、一人で歩けなくなった。

そのときは、年内か来年の命とつぶやいていたのに、会うたびに死期が早くなって、8月第1日曜日の夜、二人で寝ようと電話で話したら、「命があればね」と本気なのか冗談交じりに電話を切られた。

そして亡くなる数日前には「いつお迎えが来てもいい」と達観していた。

2人の息子と兄嫁から、大切にされ、介護ベットに横たわるお袋は、覗き込む家族の顔を見て、「幸せ」と口にした。

「感謝」「ありがとう」も幾度も口にした。

昨夜から眠りついたお袋は、朝になっても目を覚まさない。

様子が変、手を握り締めていたが・・

息が止まって、開いていたが口が閉まってしまった。

手をさすっても、呼んでも反応が無い。

あふれる涙は、もう止まらない。

兄嫁に「よくやってくれました。本当にありがとう」と声をかけたのが精一杯だった。

兄嫁は「おばあちゃんが大好きだった」と答えてくれた。

後は泣くしかなかった。

お袋のもともとの家系はいい。

何十丁簿という大地主で、造り酒屋の孫、直系宗家。

大屋敷は、普段、大門にある小門を利用するが、つつじが咲くころに年に一度だけ、大門を開く。

近所の人たちが、弁当を持って、行楽に訪れたという。

子どもたちは、乳母日傘(おんばひがさ)で育ったという豪商も、保証人になったばかりに、没落。

セリで蔵から持ち出された骨董品は、お寺の本堂に並びきれなかったという。

お袋の子ども時代、親類の宝石時計店からかわいがられ、贈られたイヤリングを耳にして、高級腕時計をして、ルーペや顕微鏡をもって、小学校に通ったという。

その恩義をお袋は生涯、忘れなかった。

時計店のご主人は若くして亡くなり、店をたたんで、おば様は外に働きに出ることなく、遺産で子ども4人を育て上げたが、老後は悲惨。

お袋は、服上下から、ぞりまでをプレゼントしたり、喫茶店、飲食店に誘って、「娘より大事にしてくれる」と感激された。

家族が基本。他人は信用しない。

だが、ひとたび信用すると、とことん付き合う人だった。

工務店の棟梁がお通夜に来てくれた。

リフォームやら水道行為業者ら営業が来ても、全て断るのも、仕事ぶりと人間性が気に入った棟梁との深い付き合いがあるから。

美容院の先生も、通夜に駆けつけくれた。

名古屋近郊から岐阜県境に独立開業されたが、腕と人柄で、わざわざ何十キロと離れた美容院に、兄嫁の運転する車で通う。

ボブカット、おしゃれなお袋のお気に入りのヘアスタイルは、十年以上も変わらない。

家族の中で、家族の悪口を言うと、たちまち機嫌が悪くなる。

他人に家族の悪口は一切言わないし、いい事でも、あまり語りがたらない。

家族自慢もしない。

人を騙すことはしないし、また騙されない人だった。

お袋には、ごまかしがきかない。

だから正直に話すしかなかった。

子どもの頃、聞かされたことわざがある。

「人を呪わば、穴二つ」

「人を悪く言ったり、人を陥れようと穴を掘っていると、自分が落ちる穴まで掘っている」と説明を受けた。

気位が高く、気高く生きた人生だった。


明日ありと 思う心の
  あだ桜 夜半に嵐の
     吹かぬものかは

親鸞が9歳のとき出家得度して詠ったとされる。

af3a336b.jpg
なお、写真はお袋とブロガーのツーショットです。

似てるでしょう。親子だも・・

写真の上でクリックすると、拡大します。
posted by マダムフセイン at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。