2008年12月27日

恋から愛へ

恋と愛とはどこが違うのでしょうか?

恋はいつかさめるもの。

愛は育てることができ、長く続けられるもの。

恋から始まり、愛に変わる・・

このとき、恋心が真実の愛情へと昇華するとき、それは幸福への道、ハッピーになることに通ずるのでしょう。

誰もが愛に飢えています。

ところが、愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいないようです。

「愛する」とは、すなわち、「相手を幸せにする」ことと言い換えることもできます。

愛される人間になるためには、愛する能力を育てること、でもあるわけです。

エーリッヒ・フロムの言葉を借りれば、「人間は生まれた時から、自分がどこから生じ、どこへ行くのだろうという、人生の答えを探さざるをえない。その答えとは、愛以外にないのだ」と言います。

真実の愛は、全く努力なしに実現し得るのではなく、それは相手を正しく理解し、尊敬する気持を持ち、また自らが相手に依存しようとする思いを昇華しなければ成しえないことでもあります。

人生とは、真実の愛を実現するため、自らの人格を磨く修道場のようなものだということ。

そして、そうした愛という関係性や人格成長の前提として、母の愛、父の愛、兄弟愛、自己愛、そして何者にも対する愛や「ありがとう」という感謝の心が必要なのでは、と思います。

この真実の愛が、恋人、夫婦、家族の関係から、世界中に広がれば、醜い憎悪やテロ、欺瞞に満ちた戦争も起こることもないでしょう。

年が明けた2009年は、希望に満ちた年になることを願っています。

「人は、自分の意志とはかかわりなく生まれ、自分の意志に反して死ぬということを知っている。その孤独な不安と、人間はひとりひとりが他と分離されているという不安にさいなまれながら生きている。だからこそ、他人との、あるいは他の世界との結合を渇望している」(エーリッヒ・フロム 「愛するということ」)

エーリヒ・フロムは、ユダヤ系ドイツ人の社会心理学、精神分析、哲学の研究者。マルクス主義とフロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた、新フロイト派、フロイト左派とされる。

「幸福は徳の証である」。つまり生産的な生活と人間の幸福と成長を願う人道主義的倫理を信奉するとき、人は幸福になれるとした。

★From love"koi" to love"ai"
http://ournal.blogspot.com/2008/01/where-is-different-from-love-and-love.html
恋から愛へ(^ε^)-☆Chu!!(英語バージョン)↑

★糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず(火噴いた赤ゴジラ)
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posted by マダムフセイン at 18:29| Comment(4) | TrackBack(1) | 恋愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ♪
とても深く考えていらっしゃるんですね。
「愛」、すべてにおいて関わるテーマですね。私も考えさせられます。
Posted by 浅羽由紀 at 2008年03月17日 19:33
浅羽由紀さん、 おはようございます。本日、名古屋の朝はすがすがしい、穏やかな天気です。
人と人との関わりも、このような穏やか天気のようであるといいですね。
「愛」は、相手を正しく理解し、尊敬する気持を持ち、また自らが相手に依存しようとする思いを昇華しなければ成しえないことのようです。
こうした考えが広がればいいなあと思っています。
Posted by マダムフセイン at 2008年03月18日 09:05
石鹸
Posted by 茶のしずく石鹸 at 2010年03月18日 17:48
びこうじゅん
Posted by 美・皇潤 at 2010年03月26日 14:24
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