2010年07月08日

最高の自分になれることが愛

ブロガーの拙い日記に、素晴らしいコメントがありましたので、ぜひとも、ご紹介したいと思います。

世の中には「いい人がいない」「いい出会いがない」と言う人がいますが、それは、出会いの場を増やすということも必要かもしれませんが、それよりも、自分の愛する能力を高めるということに努力されることのほうが、もっと大切かもしれません、ね。

と思います。

http://actionpawer.seesaa.net/article/87398887.html

これに対するレスです。

☆  ☆

エーリッヒ・フロム、懐かしいです。

「人は見た目が云々・・・」などという本が巷に溢れています。

世間は愛について深く、丁寧に時間をかけて考えることを忘れてしまっていますね。

慣れ合い、執着心、寂しさをなんとなく埋めるためになんとなく付き合っている。そこから、恋が芽生え、愛に変化する場合もあると思います。

でも、私は、男女の愛に、魂を高め合い、最高の自分になれることが愛だと思うのです。

同じように相手も最高になる。

そうしたプロセスを育んでいくことが愛であると思っています。

愛という深いテーマは、何故、自分が生きているのかを問うことにも密接に関連していますね。

愛について、これからも発信してください。

楽しみにしています。

☆  ☆

「男女の愛に、魂を高め合い、最高の自分になれることが愛」

「同じように相手も最高になる」

な〜んて、そうです。そうです。ホントに、そうです。
posted by マダムフセイン at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

恋から愛へ

恋と愛とはどこが違うのでしょうか?

恋はいつかさめるもの。

愛は育てることができ、長く続けられるもの。

恋から始まり、愛に変わる・・

このとき、恋心が真実の愛情へと昇華するとき、それは幸福への道、ハッピーになることに通ずるのでしょう。

誰もが愛に飢えています。

ところが、愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいないようです。

「愛する」とは、すなわち、「相手を幸せにする」ことと言い換えることもできます。

愛される人間になるためには、愛する能力を育てること、でもあるわけです。

エーリッヒ・フロムの言葉を借りれば、「人間は生まれた時から、自分がどこから生じ、どこへ行くのだろうという、人生の答えを探さざるをえない。その答えとは、愛以外にないのだ」と言います。

真実の愛は、全く努力なしに実現し得るのではなく、それは相手を正しく理解し、尊敬する気持を持ち、また自らが相手に依存しようとする思いを昇華しなければ成しえないことでもあります。

人生とは、真実の愛を実現するため、自らの人格を磨く修道場のようなものだということ。

そして、そうした愛という関係性や人格成長の前提として、母の愛、父の愛、兄弟愛、自己愛、そして何者にも対する愛や「ありがとう」という感謝の心が必要なのでは、と思います。

この真実の愛が、恋人、夫婦、家族の関係から、世界中に広がれば、醜い憎悪やテロ、欺瞞に満ちた戦争も起こることもないでしょう。

年が明けた2009年は、希望に満ちた年になることを願っています。

「人は、自分の意志とはかかわりなく生まれ、自分の意志に反して死ぬということを知っている。その孤独な不安と、人間はひとりひとりが他と分離されているという不安にさいなまれながら生きている。だからこそ、他人との、あるいは他の世界との結合を渇望している」(エーリッヒ・フロム 「愛するということ」)

エーリヒ・フロムは、ユダヤ系ドイツ人の社会心理学、精神分析、哲学の研究者。マルクス主義とフロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた、新フロイト派、フロイト左派とされる。

「幸福は徳の証である」。つまり生産的な生活と人間の幸福と成長を願う人道主義的倫理を信奉するとき、人は幸福になれるとした。

★From love"koi" to love"ai"
http://ournal.blogspot.com/2008/01/where-is-different-from-love-and-love.html
恋から愛へ(^ε^)-☆Chu!!(英語バージョン)↑

★糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず(火噴いた赤ゴジラ)
http://ameblo.jp/rakuyen/entry-10055952648.html
posted by マダムフセイン at 18:29| Comment(4) | TrackBack(1) | 恋愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

一人であって一人でない

一人の方がいい・・と思うときもあるかもしれないけれど、素直に振り返ると、私たちは、支え支えられ合って、みんなの力で生きているということは、否定できないことです。

このように、互いに支え合って生きているのが、ステキないのちの世界ではないでしょうか。

私たちは、楽しい話を聞くと、自然にワクワクします。

悲しいことに出会えば、涙が出てきます。

嫌なことに遭えば、不愉快な気持ちにもなります。

喜びや怒り、悲しみや楽しさなど、周囲から大きな影響を受けながら、生きています。

暗い冷たい思いがやってくることもあります。そんな思いに自分がなることもあるでしょう。

しかし、明るく温かい気持ちで生きていくと、周りにもその気持ちが伝わり、周囲の支えがしっかりと見えてきて、力強い思いにもなれます。

「人」という漢字は、両側から支え合って立っている姿だそうですが、私たちは一人であって、一人ではありません。

笑顔で声を交わし、励まし合い、ありがとうと支え合う。そのような世界で、私たちは元気にもなるし、明るく温かい気持ちになって、仲良く暮らしていけることでしょう。

世界連邦への道」より
posted by マダムフセイン at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

吾が恋咲かず

深雪さんは雪深い北国から、秋の終わり、雪の降る冬にやってきて、狂歌?和歌?をマダムに届けていただきました。

その歌をここにまとめました。

 x  x

次々と 紅葉葵は 開けども 吾が恋咲かず 哀れ散り果て(深雪)
しんみり、しょんぼり、しっとりと心に響きます。(マダム)


追うと逃げ 熱するとさめ 変身の 恋は魔物か 妖怪変化 (深雪)

確かに確かに、男と女の間には、好きだけど嫌い、嫌いだけど好きといった、アンビバラントなビミョーな感情があります。
「追うと逃げ 熱するとさめ」言い得て妙です。(マダム)


絶望な 恋の望みを 君知るや 札幌の街 火影潤みし (深雪)

深雪さんは道産子なんですね。フレーフレー日本ハム!!(マダム)


あなたには 心に刻む 魅力あり 危険な遊び あなたの定め (深雪)
Me? (マダム)

箱入りの 可愛い娘 悪男 引き擦り込んで 阿婆擦れ女 (深雪)
うふふ・・(マダム)


天翔ける 姫と呼ばれし 我が身には ネット世界を 縦横無尽 (深雪)

いつもお待ちしております。(マダム)


遠ざかる 多感な時を 忍耐で 焦がれ待っても 薄れ行く愛 (深雪)

深雪さん、歌いつもありがとう、です。多情多感な時も、はや過去。日ごと遠くになりつつあります。(マダム)


聡明な 紫式部 上品に 上手平安 生きて愛され (深雪)

1000年前であっても、恋に悩み、人に愛されることは、永遠に続いていますね。(マダム)


哀しみに 寄り添う吾を 君知るや 貴方の夢が 甘美なるなら (深雪)

夢がかなうよう努力します。いつもいつも素晴らしい短歌を有難うございます。(マダム)


祭礼の 夜に知り合い 愛し合う 若い二人に 慶事喜び (深雪)

最後となる歌の一つ前の歌。この歌をいただいたときは、気が付きませんでした。この歌の意味を知ったのは、それから随分後の事でした。(マダム)

見栄坊で 気取り屋男 金掛けて 探し回りし 不老不死薬 (深雪)

深雪さんの最後の歌でした。この歌を最後に、毎日待っていても、歌は来ませんでした。そして突然、結婚報告とご主人さんとのツーショット写真を見て、・・祝福しました・・(マダム)


さてさて、深雪さんは雪深い北国から、秋の終わり、雪の降る冬にやってきて、暖かくなる春を迎える前、冬の終わりに去っていきました。

オホーツクの海の向こうにでも行ったのだろうか?


なお、狂歌とは、皮肉、滑稽を盛り込み、いわば、短歌(和歌)のパロディのことです。
posted by マダムフセイン at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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