2012年11月01日

映画監督の若松孝二監督が亡くなられた

映画監督の若松孝二監督が亡くなられた。

もう何年経つだろう。

名古屋に来られた時、ミニシアターの支配人らと名鉄電車に乗って、知多半島の内海温泉へ行った。

座席指定の特急電車の中で、監督は僕の前の席に座っていた。

周りは誰も、あのおじさんがまさか映画監督とは思わなかっただろう。

監督と女優はどういう関係なのか、知りたかったので、旅館で監督にそのことを尋ねた。

監督はそれを聞いてどうするのかっていう感じだったが、このことは聞かない方が良かったのかな、と尋ねておきながら、少し後悔もしたことを覚えている。

若松監督と一緒に夕食を共にした。

夕食には、採り立ての車エビがまだ生きていたのに、鉄板の上ではねると、黒茶色のエビが桃色に染まっていった。

エビの色は、もともとは赤色じゃなかったことは、このとき知った。

今となれば、一緒に夕食を食べ、温泉につかったことが忘れられない。
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2012年07月18日

映画「カサブランカ」

今はルイヴィトンのグループとなったフランスのゲラン社のミツコは、日本人・青山光子から名付けられた。

十数年前、名古屋高島屋で光子展が開催され、展限定の香水ミツコは、またたくまに完売していた。

光子は貴族であるオーストリア外交官にみそめられ、その間に生まれた子が後に政治思想家となるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーである。

カレルギーは第1次世界大戦後のヨーロッパが再び戦争を繰り返せば、疲弊して、ヨーロッパは世界最強の陸軍を持つロシアの支配下に置かれるか、さもなくばアメリカの経済植民地となると警鐘を促し、ヨーロッパは一つになることを提唱した。

「EU生みの親」とも呼ばれ、友愛思想で日本の政治思想にも影響を及ぼすほどだったが、ヒトラーに追われる。

映画「カサブランカ」では、フランスからモロッコに渡ってきた亡命難民がアメリカに渡ることを描きだしていたが、主人公ハンフリー・ボカートの元恋人の夫は、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーがモデルとされる。

映画「カサブランカ」は、男と女を描いた名作。

美人女優イングリッド・バーグマンと、二枚目男優ハンフリー・ボガートが、独軍侵入直前のパリで、熱烈な恋に落ちながら、一緒に脱出する約束の日に、イングリッド・バーグマンは現れなかった。

そして、カサブランカで再開した二人だったが、やはり2人は結ばれず、ハンフリー・ボガートは独軍官憲に追われるイングリッド・バーグマンとその夫を、カサブランカから脱出させるため、リスボン行の旅客機に乗せるように便宜を図る。

★映画「カサブランカ」
http://blog.livedoor.jp/movie3/archives/51870286.html
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2012年05月20日

映画「市民ケーン」に見るイエロー・ジャーナリズム

アメリカ映画「市民ケーン」のモデルは、新聞王・ウィリアム・ランドルフ・ハースト。

ハーストは、世論を操作するために全米のメディアを買い漁り、絶頂期には日刊紙22、日曜紙15、雑誌7、ラジオ局5を持つにいたったという。

ハーストはメディア帝国を通じて、アメリカの道徳や政治、ひいては世界情勢までも操ろうとした。

ハーストの新聞においては、真実をよりも市民感情を煽るイエロー・ジャーナリズムや、インチキは当り前。

その有名なものが対スペイン戦争のきっかけとなったスペイン軍でっち上げ事件。

この新聞王は儲かれば、何をやってもいいという考えで、戦争になるように記事、写真を用意させて、「当方は戦争を用意する」と、記者にはっぱをかける。

そのうえ、戦争に導いても、米西戦争を誇大に報じて、さらに儲ける。

これによって、アメリカはキューバとフィリピンを得たが、戦争になったほうが新聞は儲かるということらしい。

―――

ハーストの愛人、マリオン・デイヴィスマリオン・デイビスは、まだ売れない女優だったが、傘下の新聞、雑誌は、マリオン・デイビスを有名な大スターにしようと「ハリウッドの奇蹟」「映画史上最大のスター」などとヨイショ記事を書き続けた。

そしてマリオンのためのプロダクションまで作り、これがコスモポリタンである。

だが、出演する映画はことごとく失敗する。
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2008年02月18日

リアリズム演劇とスタニスラフスキー・システム

「泣きなさい」と言うエチュードで、本当の涙を流す。

「怒りなさい」と言うエチュードで、本当の怒りをぶちまける。

この「俳優修業」は、ロシアの演出家スタニスラフスキーによる演技論、スタニスラフスキー・システム。

俳優の役作りには、2つの方法があるといわれる。

例えば、悲しい場面で、泣くシーンがあるとすると、これをどのように演じるのかというと。

一つは、俳優がこれまで自分に生活の中で、経験した出来事を思い出し、その気持ちを悲しい方向に持っていって、乗っかるようにして、役を演じると言うもの。

そしてもう一つは、まず悲しいときに人間がするしぐさをして、手を目にやり、うなだれ、悲しい表情を作ると、本当に悲しい気持ちになると言うもの。

後者の演技術こそスタニスラフスキー・システムであり、リアリズム演劇などで用いられる。

ロシアの演出家スタニスラフスキーによる演技論のバイブルのように語られるスタニスラフスキー・システム。

この演技術が、リアリズム演劇、特に映画・TVでの演技でしか有効でないとか、もはや時代遅れだとかとかいわれているが、自分の性格とかを変えたいときなど、このスタニスラフスキー・システムは参考になる。

たとえば、気が優しくて、いやのこと一つ部下に言えない会社経営者や指導者が自分を変えたいなら、部下に対して、厳しい言葉を投げかけなくてはならない場面を想定して、低音、命令口調で「すべきだ」と机を叩くなど、練習訓練をする、など。

その役になりきるのは、演劇ばかりでなく、実社会でも役立つものといえる。
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2007年04月27日

チャップリンとウェルズ

チャップリンの独裁者

ヒトラー?扮するチャ―リー・チャプリンの「独裁者」は1939年に製作された。


この映画、当時ドイツはもちろん日本でも上映禁止。戦後15年経って、60年に日本で初めて公開された。

世界は一つ

この映画の最後のスピーチは感動もの。

「人類は助け合うべきである。他人の幸福を念願として、お互いに憎しみあったりしてはいけない」

「機械は貧富の差を作り・・思想だけがあって感情がなく・・知識より思いやりが必要である」

「航空機とラジオは我々を接近させ・・世界を一つにする力がある・・」

チャプリン映画の演出者

H・Gウェルズは、タイムマシン、透明人間、宇宙戦争などのSF作家として知られるが、もう一つにはイギリスの対独宣伝相まで務めた外交官の顔が。

チャップリン映画にはウェルズの作品をヒントにしたと思われるものがいくつかある。

独裁者製作の真相

チャップリンはウェルズと懇意にしており、ウェルズ家にもよく泊まった。

ウェルズが対独宣伝相であったことは、チャップリンの映画「独裁者」を、世界世論の喚起のためにプロパガンダとして利用する意図があったのでは?

ドイツが核分裂発見

1939年9月、ヒトラー率いるドイツ軍がポーランドに侵攻して、第2次世界大戦が勃発。

その前の年、1938年12月、ベルリンのカイゼル・ウイルヘルム研究所で、オット・ハーンとフリッツ・シュトラウスマンという2人の科学者がウランの核分裂を発見。

ウェルズはこの情報を早くから知ったに違いない。

核戦争を予言

ウェルズは「The shape of things to come」の中で、まだ核兵器なるものが知られていない時代に核戦争を予言。

その慧眼(けいがん)には驚かされる。

その書では、世界が世界政府なるもので統一して、物語が終わる。

人類の未来に希望を与える預言書といえる。

米ソ両巨頭に会談

ウェルズは米ルーズベルト大統領とも昼食し、その後ソ連のスターリンとも会っている。

ウェルズはル―ズベルト大統領がいかなる指導精神を持っているかを確かめるため、長時間会談した旨をスターリンに告げた。

そしてスターリンとの会談目的は、世界を改造するために何をするのかを尋ねることだった。

そして、このことをスターリンに告げた。
posted by マダムフセイン at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

実録・SDI

実録、ドキュメンタリータッチのドラマ仕立て、マダム渾身の作品です。

一場面を紹介します。

なお、脚本の段階で終わって、映像化されていません。

○北大西洋・メキシコ湾沖

ソ連艦隊がゆっくりと進む。

ナレーション

「1962年10月、米ソ間の冷戦が頂点に達して、一触触発、核戦争の危機を招いた。」

「キューバのカストロ革命政権は、アメリカと冷戦下で対峙していたソ連との接触を開始し、それに反発したアメリカは軍事力でカストロ政権打倒をはかるも失敗した。」

「そのような状況下の1962年に、ソ連は核ミサイルをキューバ国内に配備することになった。いわゆるキューバ危機だった」

「だが米ソ首脳は打開した。フルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束した。」

「冷戦体制は平和共存、いわゆるデタントへと向かっていくことになった」

「だが平和共存には、犠牲者がいた。」

「軍産複合体・・ケネディは謎の暗殺、ダラスで銃弾に倒れた」

○ホワイトハウス(ワシントン)

そびえ立つ。

○室内

ロナルド・レーガン大統領とマダムが対談。

マダム「ハロー、ロン。さっそく本論に入りさせていただきますが、大統領はなぜSDIの開発に熱心なのですか」

大統領「ハ〜イ、マダム。それはSDIが成功すれば、敵からの核攻撃を封殺できるからです」

マダム「それではソ連も黙っていないでしょう」

大統領「SDIは正式には戦略防衛構想と呼ばれるように、本来、防衛するものです。核攻撃を封殺するところから、人類を核の脅威から救えるのです。つまり軍縮に結びつくものなのです」

マダム「(うそピー)いいえ、私はそうは思いません。SDIはまぎれもない攻撃兵器です。SDIにより軍事利用の場が宇宙空間にまで広がり、軍拡が進むだけです」

続き、および詳細は↓
http://blog.livedoor.jp/kyoiku2/archives/50161448.html

第2話続きを読む
posted by マダムフセイン at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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